正しい、って何だろう

語句の用法として「的を射る」は正しく「的を得る」はまちがった表記だとされていた。ところが、実は「的を得る」でもまちがっていないらしい。
誤っているとされた原因は三省堂の国語辞典に「誤用である」と書いてあったかららしく、第7版の改版にあたって再検証をした結果、「得る」を「うまく捉える」の意味ととらえれば「的を得る」も誤用にはならない、とされたのです。
『「的を得る」は「的を射る」の誤り』という従来の記述は撤回されました。
言葉が正しいか正しくないかは人間が決めてよいことのようだ。

 

数学でも言葉の意味は「定義」としてきちんと人間が定めて使います。
たとえば二等辺三角形の定義は
「2つの角が等しい」ではなく「2つの辺が等しい」三角形のことです。
ところで、ある言葉を説明するためには、別の言葉が必要になります。

 

そして、さらにその言葉の意味を説明するために、また別の言葉が・・・
・・・という具合に、どんどんもとをたどればついには説明できない大もとの言葉にたどり着くでしょう。これを無定義用語といいます。

 

[無定義用語]→[用語A]→[用語B]→・・・

 

無定義用語は定義しないで使う用語のことです。
たとえば、「点」とか「直線」とか「平面」とかは無定義用語とされています。

 

その上で、「正しい」ことを「正しい理由」を示して誰の目にも明らかに毅然と天下に示すことが数学の使命なのです。「数学の命=正しいことを証明する」です。

 

証明されて正しさが保証されたことがらを定理といいますが、「正しい」ことを説明するためには別の正しいことが理由となっています。用語と同じように、これももとをたどっていけば、ついには証明できない大もとにたどり着きます。
数学ではこれを「公理」と呼んでいます。いくつかの公理の集まりが公理系です。
つまり「正しいことにしよう」とみんなで決めた内容のことです。

 

[公理(系)]→[定理A]→[定理B]→・・・

 

有名どころでは「平行線の公理」というのがあります。
「直線と点Pがあるとき、点Pを通りこの直線と平行な直線は1本しかない」
というのが平行線の公理です(図参照)。

当たり前じゃないか、と思いますよね。これは人間がどうこう決めることではなく、証明して導き出されること(定理)だと確信できますよね。
そこで昔の人も「証明してみせよう」と、チャレンジすることになります。
ところが2000年もの間、誰も成功しません。
やがて人々は気づくのです。もしかしたらこれは証明できないことなのかもしれない・・と。

 

数学とは人間が「正しいこと」をかってに決めて、それをもとにして次々と他の「正しいこと」を見つけて証明していく学問なのです。いくつかの正しいと決めたこと(公理)からスタートして、何も矛盾が発生しなければ、その公理たち(公理系)は世に認められるのです。

 

実は「平行線の公理」は人間が決めてよい、大もとの内容だったのです。だから、どのように決めても理論的には何も矛盾は起きないのです。点Pを通る平行線がたくさん引けると決めても、1本だけ引けると決めても、1本も引けないと決めても、どれに決めても矛盾のない図形の世界が成り立ってしまうのです。
数学では「矛盾しない⇒正しい」なんです。
今、学校で勉強している図形の世界は「平行線が1本しか引けない世界」について、ということなのです。

 

じゃあ、平行線が2本引ける世界を見せてくれよ、と言いたくなりますよね。あるわけないじゃん、と絶対に思いますよね。でも、あるんです。見せることもできるんです!

 

なんだかタヌキにつままれたような話ですね。えっ!? キツネにつままれるのが正しい日本語でしたっけ? でもタヌキでも正しいよ、という日が来るかも。

 

数学では「ありえない」と思えることが「実はありえる」ということがけっこうたくさんあります。高校、大学と進み、なるほど、そういうことか、と、そのからくりを知る喜びも勉強するひとつの楽しみではないかと思っています。