大正 ~100年前の日本~(小学生:塾だより1-2月号)

 小学生のみなさん、新年になって半月くらい経(た)ちますが、寒さに負けずにがんばっていますか。今年は2021年・令和3年ですね。みんなが今年も元気でいられることを願っています。
 さて、突然(とつぜん)ですが、あなたは100年前の日本の様子が想像(そうぞう)できますか。今から100年前は、西暦(せいれき)1921年(こういう計算をするとき西暦はとても便利です)、元号では大正10年です。大正は令和の3つ前の元号です。明治→大正→昭和→平成→令和の順番です。大正は15年間続き、ここ150年間では一番短い元号です。

ここでクイズです。次のものの中で、大正10年(1921年)の日本にあったものはどれでしょうか。答えは2つ以上あるかもしれません。
ア:地下鉄   イ:エレベーター   ウ:バス   エ:ラジオ
オ:公衆(こうしゅう)電話   カ:映画館(えいがかん)   キ:デパート   ク:コロッケ

 考えましたか?では、答え合わせです。

ア:列車は蒸気機関車と電車が両方使われていました。総武(そうぶ)線や京成線は東京から千葉を目指してのびていく最中で、大正10年(1921年)に京成線の船橋~千葉間が開通しました。地下鉄の開通は昭和2年(1927年)です。浅草~上野間に日本初の地下鉄が作られ、地下鉄に乗るのがカッコイイと言われました。ちなみに京葉線ができるのはずっと後の平成2年(1990年)です。
イ:日本で初めてエレベーターが設置(せっち)された建物が、明治23年(1890年)に建てられた、浅草の凌雲閣(りょううんかく)です。浅草十二階というあだ名の通り12階建て。当時の日本では一番高い(52m)建物で、浅草の観光名所でした。残念ながら、大正12年(1923年)の関東大震災(だいしんさい)で倒れてしまいました。
ウ:バスは大正初期に全国的に広まりました。特に関東大震災の後に、路面電車に代わって人々の足になりました。大正13年(1924年)には東京で初めてバスガール(女性車掌(しゃしょう))が登場しました。当時のバスでは運転手とは別に車掌がいて、切符(きっぷ)をチェックしたりしていたのです。
エ:日本でラジオ放送が始まったのは大正14年(1925年)。甲子園(こうしえん)や相撲(すもう)の実況(じっきょう)で人々を楽しませました。ちなみに日本でテレビ放送が始まったのは、昭和28年(1953年)です。
オ:公衆電話は明治33年(1900年)に初めて上野駅と新橋駅に置かれて広まっていきました。各家庭が電話を持つようになるのは、昭和8年(1933年)からです。
カ:映画館は明治36年(1903年)に浅草で初めて開業。当時はまだ声がついておらず、映像(えいぞう)が流れる横で、弁士(べんし)という人がトークをしていました。映画に声がつくのは昭和4年(1929年)からです。
キ:デパートは明治後半から登場しました。大正3年(1914年)には東京の日本橋に三越(みつこし)の5階建てのデパートが作られました。このデパートは日本で初めてエスカレーターが設置され、レストランや屋上の遊び場もありました。
ク:デパートのレストランなどで人々が気軽に食べられるようになったのが、コロッケやカレーなどの洋食です。大正時代にはコロッケ、ビフテキ(ビーフステーキ)、トンカツが三大洋食だと言われていました。
 ちなみに習志野には第一次世界大戦(1914~1918)でつかまえたドイツの兵隊をとじこめる収容(しゅうよう)所が作られました。ドイツ人にはそれなりに自由が与えられていて、サッカーやオーケストラを楽しんだりしていました。また、地元の人々と交流し、ソーセージの作り方を伝えてくれました。

というわけで、正解はアとエ以外です。思っているよりも、21世紀前半の私たちの生活と似(に)ていると思いませんか。
 ちなみに作家では、芥川(あくたがわ)龍之(りゅうの)介(すけ)や江戸川(えどがわ)乱歩(らんぽ)が有名です。芥川は小学生でも楽しめるお話をたくさん書いています。私のイチオシは『魔術(まじゅつ)』です。大正の東京の、ランプに照らされたほのかな暗さがたまらなく好きです。江戸川乱歩の『怪人(かいじん)二十面相』(昭和初期の作品ですが)も小学生のころに何度も読みました。変装(へんそう)の達人の大どろぼう二十面相と、名探偵(たんてい)の明智(あけち)小五郎(こごろう)の知恵(ちえ)くらべにワクワクします。

 大正時代は日中戦争や太平洋戦争(1937~1945)が起きた昭和より前の時代です。学校で戦時中の苦しい生活について学ぶと、昔はどんなに辛(つら)かったのだろうと思いますが、その前には明るい時代もあったのです。
 しかし、もちろん、大正は明るいだけの時代ではありません。インフルエンザの大流行や関東大震災といった天災(てんさい)で何万人もの人々が亡(な)くなりました。また、日本が中国の土地をうばったり、震災の時にふつうの人々が不安にかられて無実の朝鮮(ちょうせん)(韓国(かんこく))の人々を何千人も殺したりすることもありました。こうした歴史を忘れないようにするのが、後世の人間の責任(せきにん)なのではないかと私は思います。まだ100年しか経っていないのですから。

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