読書の秋(小学:塾だより9-10月号)

ようやく少し涼しくなり、「〇〇の秋」と言われる季節(きせつ)がやってきましたね。スポーツの秋、食欲(しょくよく)の秋などありますが、読書の秋というのもありますね。みなさんは読書が好きですか。好きな人は、読書のどんなところに喜(よろこ)びを感じているのでしょうか。反対に、きらいな人は、どうして本を手に取らないのでしょうか。

私は小学校のころに、一番たくさん本を読みました。低(てい)学年のころは、日本の作品には興味(きょうみ)がなく、舞台(ぶたい)はアメリカかヨーロッパ、時代は19世紀(せいき)の作品ばかり読んでいました。一人の時は、その主人公になったつもりで、セリフやその後の人生などをいつも想像(そうぞう)していたものです。

高学年になると、『少年少女古典(こてん)文学館』という全集を祖母(そぼ)が買ってくれたため、今度は夢中(むちゅう)で平安時代の作品を読むようになりました。古典というのは、古い時代に書かれたもので、そのままでは現代(げんだい)の私たちには読めません。このシリーズでは、現代の子供でも読めるように今の言葉に訳(やく)され、説明もたくさんあったので、文化や制度(せいど)などを知ることもできました。

思えば子供のころは、時代や国や環境(かんきょう)がまるでちがう、もう一つの人生を生きているような気持ちになれることが喜びでした。大人になるにしたがって現実(げんじつ)を知ると、読む本の種類(しゅるい)も変わってきます。それまで興味がなかった種類の本にも目を向けるようになり、共感(きょうかん)することも出てきました。このように、自分の年れいや環境や心の状態(じょうたい)によって、求める作品が変化(へんか)していき、なにかしら人生にえいきょうをあたえる、というのが読書の“だいご味”(おもしろさ)なのかもしれませんね。

また、読書は楽しいだけでなく、勉強にも日常(にちじょう)生活にも役立つことがたくさんあります。みなさんは国語の文章問題を解(と)いていて、「登場人物の気持ちなんて分からない。」と思ったことはありませんか。確(たし)かに、他人の気持ちを完全(かんぜん)に理解(りかい)することは難(むずか)しいかもしれません。でも、文章の中には、登場人物の気持ちを推測(すいそく)するためのヒントが散(ち)りばめられています。例(たと)えば、その人の発言や表情(ひょうじょう)、行動や情景(じょうけい)のえがき方です。読書を続けていると、だんだん感性(かんせい)がするどくなってきて、想像力がみがかれます。すると、ふだんの生活の中でも、「これをしたら相手はどう思うかな。」と、他人の立場に立って物事を考えられるようになったり、文章問題でも、「この言葉の裏(うら)にはこんな気持ちがあるのかな。」など、行間(ぎょうかん)を読める(文章には直接書いていないことをくみとる)ようにもなったりするのです。

さらに、言葉の力も身につきます。漢字の宿題や問題を解いているとき、分からない言葉に出会うことがあるでしょう。でも、読書をするようになると、知らない言葉に出会う回数自体がぐっと減(へ)るはずです。たとえ習ったことがない言葉でも、いろいろな文章の中で何度もふれていると、自然と「語い」が身についていくからです。分からない言葉や漢字に出会ったら、辞書(じしょ)で調べる習慣(しゅうかん)をつけましょう。手もとに辞書がない場合は、「前後の流れから、きっとこういう意味だろう。」と見当をつけてみることも大切です。そうすれば、自分でも気づかないうちに、知っている言葉、使える言葉の世界が広がっていくことでしょう。

読書がおっくうでない人は、さらにもう一歩ふみこんでみましょう。読解力(どっかいりょく)をつけるためのひと手間です。それは、「読んだ本のしょうかい文を書いてみること」です。本には、書いた人の思いや伝えたいことがつまっています。読んでいく中でそれを理解したら、今度は自分自身の言葉で表現(ひょうげん)してみるのです。「いつ、どこで、だれが、何をしたのか、なぜそうしたのか、結末(けつまつ)はどうなったのか、そして自分はどう感じたのか」といったことを、簡単(かんたん)にまとめてみましょう。他人が書いたものを自分の中で受け止めてから、さらに自分の持っている言葉で人に伝える練習です。毎回書ければ最高(さいこう)ですが、難しければ、おうちの人に本の内容(ないよう)を話すことから始めてみるのもよいでしょう。お父さんやお母さんの時間がありそうなときに聞いてもらうといいかもしれません。

ぜひ、この秋を読書の秋にしてみてください。